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海外挙式&旅行体験記

VOL.11 白木様ご一行の韓国「♪かえるの歌」日記


韓国、行ってまいりました。今回、最初は一人で行くつもりで手配してもらってい李 舜臣の像たのですが、主人の両親もちょうど韓国旅行を考えているということだったので、どうせなら・・・と3人で行くことに。急な予定変更で、河野さんにはいろいろとお手数をかけてしまいましたね。でも、度重なる急な変更事項に対処しながらも、その時々の事情に応じた良いプランを提案してくださったので、ホントに楽しい旅行ができました。 どうもありがとう!

さて、このたびは、博多港からビートルU世号で釜山に向かい、一日目は市内観光、二日目は慶州で仏教美術の粋を堪能し、三日目にはショッピングを楽しんで帰ってくるという、うれしいイベント満載の旅・・・であったはずなのですが・・・アクシデント発生。・・・というか、ワタシがひき起こしました。
 
旅行前の数日間、少々忙しくて無理をしたのがいけなかったのか、大した揺れでもないのに、何故か船酔いが始まってしまったのです。これがそもそもの始まり。船を降りたら気分はすぐに回復して、市内観光には周ることができたものの、夕方から再び頭痛と吐き気がぶり返して完全KO。当然、夕食の海鮮鍋にはまったく箸をつけられず、この日はすぐさま宿泊先のコモドホテル(義母曰く「コドモ・・・いや、ドコモホテル?」)に急行。この日の夜も、そして次の日の朝も、強烈な頭痛と嘔吐で(韓国に入国してからはほとんど全く食べ物を口にしていないので、少なくとも現地での食中毒といったものが原因でない事だけは確かです)ほとんどピクリとも動けず、二日目は半日以上をベッドの中でゴロゴロして過ごすことになり、結局メインイベントの慶州観光には行けなかったのでした。

・・・で、この旅行の何が楽しかったのかって?そう、確かにワタシのスケジュールは完全に狂ってしまったわけで、いい事なんかありそうもないように思えますけどね。 でもホントに楽しかった。 なぜでしょう? その理由は、やっぱり"ひと"や"まち"との出会いにあったんでしょうね。多分。そもそも今回の旅行、ワタシにとっては休養のためのものだったので、何を見に行くか、どんなことをするかといった旅の内容はある意味二次的なものだったのです。ただ、主人の両親は、今回が最初で最後の韓国旅行にするつもりだというので(元気なうちにもっといろんな国に行ってみたいから、とのこと)、それならば、できるだけ思い出深い楽しい旅行にしたいな、という気持ちがありました。それだけに、自分が行動不能に陥ったときにはかなり焦りました。自分の不注意で台無しにしてしまったのでは、やり切れませんもんね。

でも、ガイドを務めてくれたお姉さん(ワタシより若い人だが、あえてこう呼ばせていただく)は、観光ガイドの業務に一所懸命なのはもちろんのこと、とても親身になって両親の希望やワタシの健康状態を気遣ってくれました。ワタシが行けなかった二日目の慶州観光も、帰ってきた両親のすこぶる満足そうな様子から察するに、やっぱり彼女には一所懸命お世話してもらったみたいで、何だかじわりとくるような感激を覚えました。いい人にめぐり合えてよかったな〜。


釜山タワーからの眺め
 
その二日目の夕方には、義母とガイドさんとで買いに走ってくれた薬のおかげで完全復活を果たし、一日目にちょっと寄ってみた国際市場へ、義母と二人で繰り出すことに。釜山国際映画祭の初日ということもあって、夜空には花火があがり、同時に『ミラジオ』というかなり大きなショッピングモールの開店日でもあったらしくて、中で行われている若い女性歌手のコンサートを映し出す大きなスクリーンの前の通りに、若者が山ほど集まっていました(とはいえ、国際市場はどの通りも人間でごった返していましたが。)。警備にあたる警察隊(多分)のキリキリと耳に響く笛の音、人々の歓声・・・いつもどこか諦め顔の義母が街の熱気に溶け込んで、少女のように生き生きとひとごみを泳ぎ回っている。 もちろんワタシも、いつもとは違うテンションで、この非日常的な風景を存分に楽しんでいる。「あ〜、来て良かった〜。」・・・と実感。

それにしても、韓国の人々は、概ね優しいですね。甘いんじゃなくて、優しい。初日の夕方のホテルへのタクシーの中で、具合の悪さがピークに達したワタシは結局、運転手さんの真後ろの席で吐いてしまいました(スミマセンね。キタナイはなしで)。道すがらずっとワタシの"かえるの歌"(・・・けろけろ?)を間近で聞かされていたかわいそうな運転手さん、さぞ気分を害されたであろうと思ったのですが、降りる間際、なにやら、"具合はだいじょうぶかい?"とでもいうような温かいまなざしで、こんなワタシを見送ってくださったのでした。うう・・・人の情が身にしみる・・・。ホテルのフロントや飲食店の従業員の人々の中には、一見クールでちょっと近づき難そうに見える人もいるけど、カタコトのたどたどしい挨拶(それも「こんにちは」とか「ごちそうさま」とか、そういうごく基本的なものしか覚えていかなかったのだけれど)でも、こちらのほうから積極的に気持ちを表現していくと、にっこりして返事を返してくれるので、なんだか妙に嬉しかったです。

あと一つ、義父も義母も感心していたのが、どこのお店で働いている人も、皆やたらにエネルギッシュに仕事をしていたということでした。特にご婦人方のバイタリティーには舌を巻くものがあったようです。義父は「そりゃあもう、ひっきりなしに走り回っていたねえ」といい、義母は「韓国の女性はたくましいねえ・・・」とつぶやき、それぞれに何か思うところがあったのか、三日目の夕方、博多港で別れるときには、来たときよりも幾分元気な、そしていつもとちょっと違った顔つきで帰っていったようにさえみえました。(ワタシの思い込みでしょうか?)・・・旅って不思議だ。とにかく、いろんな意味で楽しく嬉しい旅行でした。それだけに、ガイドさんを通さなければ周囲とうまくコミュニケートできない自分に、いいしれぬもどかしさを感じます。あんなことやこんなことが現地の言葉で表現できれば、きっともっと楽しかっただろうに・・・と。いつの日か韓国語会話ができるようになって、再びあの地へ!・・・こーしてリピーターは拡大再生産されていくのでしょうか。

ともかく、絶対また行くぞ〜!!そんなわけで、河野さん。そのときには、またよろしくお願いしますね!



見たことのある看板!!

<韓国/釜山にて>
〜山口県下関市在住 白木様ご一行〜

  

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